ついに迎えた、マキさんとの初デートの木曜日。
夕方18時半、私はサラリーマンの熱気でガヤガヤと賑わう駅のガード下に立っていました。 徹底した身バレ対策として、いつものくたびれたヨレヨレのワイシャツは避け、今朝、クローゼットの奥から引っ張り出してきた、少し小綺麗に見えるストライプのシャツを着てきました。
「taroさん、今、改札を出ました。紺色のバッグを持っています」
LINEの画面を見つめる私の手は、緊張でじんわりと汗ばんでいました。深呼吸をして顔を上げると、人混みの向こうから、きょろきょろと辺りを見回している一人の女性が歩いてきます。
プロフィール写真の通り、少しふくよかで、優しそうな雰囲気の40代半ばの女性。
「マキさん、ですか?」 声をかけると、彼女は一瞬驚いた顔をした後、パッと満面の笑みを浮かべました。
「あ、taroさん! はじめまして! よかった、すぐ分かって。写真よりずっと若々しくて素敵ですね」
お世辞でも、50歳を過ぎたおじさんには五臓六腑に染み渡るような嬉しい言葉でした。 「マキさんこそ、笑顔がすごく素敵です。さあ、行きましょう!」
緊張が少しほぐれた私は、彼女を連れて、予定通り「1本100円から頼める串カツ屋」の暖簾をくぐりました。
1. リーズナブルな大衆店という、最強の盾
店内は会社帰りのサラリーマンで満席、床は少し油でペタペタするような、お世辞にもお洒落とは言えない大衆居酒屋です。 もしここが高級なイタリアンなら、私はメニューの値段を見るたびに冷や汗をかき、財布の残高ばかり気にして会話どころではなかったでしょう。
しかし、ここは確実に計算が立つ私のホームグラウンドです。
「生ビール2つと、名物のどて焼き、あと串カツの盛り合わせをお願いします!」
慣れた手つきでテキパキと注文する私を見て、マキさんは「わあ、手際がいいですね!」と感心してくれました。
「こういうお店、本当に何年ぶりだろう。夫は『騒がしい店は嫌いだ』って言って、外食といえばファミレスかチェーン店の回転寿司くらいしか連れて行ってくれないので。私、こういうガヤガヤした雰囲気の中でビールを飲むのが夢だったんです!」
マキさんは、運ばれてきたキンキンの生ビールを嬉しそうに美味しそうに喉へ流し込みました。 その飾らない姿を見て、私は確信しました。 「背伸びして高い店に行かなくて本当によかった。お小遣い制の会社員には、この庶民派スタイルこそが一番の武器なんだ」と。
2. 50代おじさんの奥義「徹底的な傾聴(聞き上手)」
お酒が入るにつれ、会話はどんどん弾んでいきました。
ここで私が意識したのは、「自分の話は3割、マキさんの話を7割」にするという、徹底的な聞き上手(傾聴)の姿勢です。若い頃の恋愛なら「自分を格好良く見せたい」と自慢話をしてしまっていたかもしれませんが、中間管理職として部下の愚痴を毎日聞いている私には、この「聞く力」が自然と身についていました。
マキさんは、普段家庭でどれだけ孤独を感じているかを、ぽつりぽつりと話し始めました。
「毎日、朝早く起きてお弁当を作って、パートに行って、帰ってきて夕飯を作っても、夫からは『ありがとう』の一言もないんです。ご飯を出しても、スマホを見ながら無言で食べるだけ。私、この家の中でただの家政婦なんじゃないかって、時々すごく虚しくなるんです……」
マキさんの目は、少し潤んでいました。
「マキさん、毎日本当によく頑張っているね。当たり前だけど、家政婦なんかじゃないよ。こんなに明るくて素敵なお母さんがいて、旦那さんは本当はすごく幸せ者なのに、それに甘えちゃってるんだね。僕だったら、毎日マキさんの美味しいご飯に感謝するよ」
私の言葉に、マキさんはハッとしたように目を見開き、それからポロポロと涙をこぼしました。
「taroさん……、そんな風に私のことを見てくれたの、何年ぶりだろう。すごく、心が救われました」
テーブルの上で、マキさんが私のゴツゴツした手に、自分の温かい手をそっと重ねてきました。 ガヤガヤとした大衆居酒屋の真ん中で、そこだけが甘やかな熱を持っていました。
3. 抑えきれなくなった、大人の衝動
2時間ほどが過ぎ、お会計のときがやってきました。 2人でたっぷり飲んで食べて、お会計は非常にリーズナブル。私は財布からスマートに紙幣を出し、「ここは僕に任せて」とお小遣いの範囲で支払いました。マキさんは「ごちそうさまでした!本当に楽しかった!」と、申し訳なさそうに、でも本当に嬉しそうに微笑んでくれました。
お店を出たのは21時前。 普通ならここで「じゃあ、またね」と駅に向かうところです。
しかし、夜の涼しい風に吹かれながら歩いているとき、マキさんが私のスーツの袖を、ぎゅっと小さく引っ張りました。
「taroさん……、私、まだ帰りたくないな。もう少しだけ、一緒にいたいです」
上気した顔で、じっと私を見つめるマキさん。 その瞬間、私の中に眠っていた、長年忘れていた「男としての本能」が、カチリと音を立てて目を覚ましました。
「マキさん、もう少し静かな場所で、ゆっくり話そうか」
私はマキさんの手を握りしめ、駅の裏手にある、決して新しくはないけれど、静かで手頃なビジネスカテゴリーのホテルのネオンサインに向かって、一歩を踏み出しました。
お財布にはしっかり余裕を残したまま。私たちの目の前には、確かに「大人の秘密の入り口」が開いていました。
(第4話・最終章「お小遣い予算内でも『男』になれる。私たちが手に入れた秘密の隠れ家」へ続く)


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